思春期の不機嫌を放置しない 〜齊藤孝さんのご本から 4

 今の時代、人に気遣いのできる上機嫌な子どもを期待する向きは少ないと言えましょう。成長期の精神的安定は求められていない。たとえば、中学生は親しい友だち同士だと仲がよくてご機嫌ですが、大人や、仲間以外の人に対しては不機嫌で、それもまた仕方ないという空気があります。反抗期だからです。これは人間の成長に必要欠くべからざるもので、最近反抗期らしい反抗期がないのが心配されるという論を唱える方もいらっしゃいます。
 私自身は、反抗期というものは必ずしも必要ないと考えています。基本的に人に気を遣うという能力は「技」であり、こころの習慣の問題です。そのこころの習慣を、ある時期全くなくしていいというのは、社会としておかしいと思うのです。 10代の精神的に葛藤の多い時期だからといって、人に対する気遣いをしなくていいということはありません。この習慣を忘れてなくしてしまっていいと許容してしまいますと、身についた「当たり散らし癖」や「むっとしたまま癖」はその人の中で続いてしまい、当たり前のものとなってしまうことが多いのです。ここから脱却しようとすれば、もう一度「人に気を遣う」という技を、自分の中で作り直さないとなりません。
 現在は、子どもが不機嫌であっても無愛想であっても、積極的に直す努力をしない。たとえば、会話をしない状態も放置している。親が話しかけても何も答えない。「別に」「ふつう」がせいぜいです。「別に」「ふつう」というのは、会話を拒否した状態であり、拒否の意思表示です。それはいけないことだと、はっきりと指摘しなければならない。相手と関係を結びたくないという意思表示、会話に対してきちんと答えないという拒否状態が、成長にとって必要なことであるとは私は思わないのです

相手と関係を結びたくないという意思表示、会話に対してきちんと答えないという拒否状態が、成長にとって必要なことであるとは私は思わない..とうぜんですね。でもきづかないですごしているかも? まずはみずからさいてんけん
上機嫌の作法 (角川oneテーマ21)