そしてグッド・ラック 〜糸瀬茂さんのご本から 6

 これは日本人と欧米人の自我の大きさと関係がある。欧米人の自我はでっかく、日本人の自我は小さい。日本人はもともとムラの中で共同で米作りをしてきたから、常にムラの論理が優先し、個の論理は押しつぶされてしまっている。何かを決めるのにも、自我はできるだけ抑えつけ、周囲がどう考えるかが行動の基準となる。
 かくて日本人のちっぽけな個が頑張って、ふくれあがって、それからその頑張りを発揮すべき状況に立ち向かってゆくということになるわけだが、争いの場は、あくまで個人の場であるはずなのに、日本人的個は、どうしても集団の思いを背にして立ち現れる。たとえばマラソンのスタートラインである。(中略)
 英語の場合を考えてみよう。こういった状況に際して発せられる言葉は、おそらくGOOD LUCKであって、Try Hard! Do your bestなどではない。Good Luckは、読んで字のごとく、言葉をかけた相手の競技における幸運を祈る言葉であり、このような声をかけたあとでは、庇護も慈しみの心も入り込む余地はない。そこにあるのは、すでに完成された個であり、その個のどの部分にも、介入することはないのである

このような声をかけたあとでは、庇護も慈しみの心も入り込む余地はない..たしかにとてもcool、もしくは唯一神のせかいをかんじたきおくが。いまは"Have Fun !!" がきぶんかな
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