おカネとヒト 〜岩井克人さんのご本から 9

 ヒトとは、自分以外の何人にも支配されない自立した存在です。そして、そのような自立性の究極的な拠り所は、自由意志の存在です。ヒトをヒトたらしめているこの自由意志があるかぎり、ヒトが頭脳のなかにこれまで蓄積してきた知識や能力をどのように使うか、さらに人が自分の頭脳のなかに新たな知識や能力をどのように蓄積していくかを、外部から完全にコントロールすることは不可能です。たとえ、そのような知識や能力を体現しているヒトをドレイにしたとしても、不可能なのです。
 それゆえ、おカネができる唯一のことは、ヒトに知識や能力を自主的に発揮してもらうため、さらにはヒトに知識や能力を自主的に蓄積してもらうため、さまざまなインセンティブ(動機)を提供することだけです。成績に応じたボーナスを与えたり、昇進制度や退職制度を工夫したり、自由な勤務時間や仕事の自主管理などのような知的作業に適した環境を整えたり、会社の社会的なイメージを高めたりすることだけなのです。
 すでに何度もくりかえしていますが、おカネで買えるモノよりも、おカネで買えないヒトのなかの知識や能力のほうがはるかに高い価値をもちはじめているポスト産業資本主義においては、おカネの重要性が急速に下がっているのです。それは、当然、会社に対するおカネ(資本)の究極的な提供者としての株主の重要性が、会社のなかで急速に低下していることを意味することになります。そして、そのことは、会社とは株主のものでしかないというアメリカ的な「株主主権」論の正当性が、いままさに疑われ始めているということを意味することにもなるのです。
 ポスト産業資本主義の時代に入って、「会社は誰のものか」というあの問いを、再び問わなければならなくなっているのです

おカネで買えないヒトのなかの知識や能力のほうがはるかに高い価値をもちはじめている..くうためにはたらく、からのちょうやくがしゅっぱつてんでしょうか
会社はこれからどうなるのか