「家」制度と法人 〜岩井克人さんのご本から 5

 現代という時点から見直してみると、日本の「家」とは、たんなる人類学的な意味での家族ではなくて、「法人」としての性格を色濃くもっていた存在であることがわかります。三井家の場合、家祖とよばれる三井高利は子沢山で、隠居後にそのたくさんの子どもたちに本店や支店の経営をまかせました。単純に分家させると、三井の資産が分散してしまいます。そこで、先ほど紹介した「大元方」という機関を設立し、三井家全体の資産をプールして、共同で管理するようにしたのです。それぞれの家の当主といえども大元方の資産を分割することは許されず、利益の配当という形でしかそれに関与できなかったのです。それゆえ、大元方に蓄積された資産の実際の所有者は三井家の人間ではなく、三井の「家」そのものだといえるわけです。
 ここで面白いのは、家の「当主」という言葉です。ヨーロッパや朝鮮や中国の家族制度では、家族の長は、家族の資産の所有者であることによって、まさに支配者として君臨しています。ところが、日本の「当主」とは、まさに言葉通り、当座の主人でしかないのです。たとえ三井総本家の当主であっても、「家」の支配者という色彩は薄い。むしろ、個々の人間を超越した存在である「家」を末代まで永続させていくことを目的とした、筆頭管理者という色彩が濃いのです。資本家というよりは、法人の代表機関としての経営者に近い役割をはたしていたと考えたほうがよいのです

当座の主人..おくゆかしいこころえ。えねるぎにかけるきらいもありますけれども
会社はこれからどうなるのか