コーポレート・ガバナンスと信任義務 〜岩井克人さんのご本から 2

 法人としての会社がむすぶ契約はすべて経営者を通してしかむすべないわけですから、経営者の行動をコントロールするために会社と経営者がむすぶ契約は、実質的には経営者が自分自身とむすぶことになってしまいます。経営者は、もし自己利益の追求のみを考えているならば、いくらでも自分に都合のよい契約書を仕立て上げてしまいます。自己契約は契約として無効である−これは法律の大原則のひとつです。信任関係を契約によってコントロールする試みは、必然的に自己契約という要素をもってしまうという、本質的な矛盾をはらんでいるのです。いや、じつは、まさにそこに、契約とは異なった法律概念としての信任という概念の存在理由があるのです。
 それゆえ、信任関係の維持には、自己利益の追求を前提とした契約関係とは全く異質の原理を導入せざるを得ません。それは、ほかでもない、「倫理」です。 当り前のことですが、信任を受けた人間がすべて倫理感にあふれていさえすれば、信任関係は健全に維持されます。それゆえ、歴史的には多くの専門家集団がみずからに職業倫理を課してきたのです。たとえば医者の場合、「わたしは能力と判断の限り、患者に利益すると思う養生法をとり、悪くて有害と知る方法を決してとらない」というあの有名なヒポクラテスの誓いの存在が、患者との信任関係を維持していく上で大きな役割をはたしてきたことは、よく知られています

わたしは能力と判断の限り、患者に利益すると思う養生法をとり..こきゃくからはあたりまえのことが、ぷろにはみえなくなる。 ふしぎなげんじつです
会社はこれからどうなるのか