死から目をそむけているから、自分自身の命を考えなくなる 〜ニール・ドナルド・ウオルシュさんのご本その3から 7

 「正邪」というのは、人間の価値システムの哲学的両極であって、究極の真実とは何の関係もない。あなたがたは、自分にあうように価値観を変化させる(進化していく存在として、それは当然のことだ)。それなのに、その段階の一歩一歩で、変化なんかさせていない、自分たちの社会が信頼できるのは、中核に変化しない価値があるからだと主張する。だから、あなたがたの社会は、パラドックスの上に築かれているわけだ。価値観はつねに変化しているのに、変化しない価値観、そこにこそ−価値があると主張しているのだから!
 このパラドックスが引き起こす問題への答えは、砂に水をかけてコンクリートをつくろうとするのではなく、砂の変化をたたえよ、ということだ。砂の城があるうちはその美しさをたたえ、潮が寄せてきて新しいかたちができたら、今度はそれをたたえればいい。 あなたがてっぺんに上れるような新しい砂の山ができたら、砂の変化をたたえ、新しいお城をつくりなさい。だが、その山も城も永続するものではなく、変化の記念碑であることを覚えていなさい。
 現在のあなたの栄光をたたえなさい。だが、昨日のあなたを非難しないこと。明日のあなたを排除しないこと。「オーケー」か「オーケーじゃない」かは、いちばん最近の好みや想像の表現にすぎない

「オーケー」か「オーケーじゃない」かは、いちばん最近の好みや想像の表現にすぎない..ではなにをよすがに? とはみじゅくのあかし
神との対話〈3〉宇宙になる自分になる (サンマーク文庫)