自分にとって何が「最善」かを考えていると、選択が慎重になる 〜ニール・ドナルド・ウオルシュさんのご本その2から

(ウオルシュ)もういちど教えてください。わたしの選択が現実として創造されるまで、どうしてこんなに時間がかかるのですか?
 理由はたくさんある。選択したことが実現すると信じていないから。何を選択すべきか、わかっていないから。選ぶ前に、「最善」とは何かと考えてばかりいるから。自分の選択がすべて「良い」ことを、前もって保障してもらいたがっているから。そして、いつも気が変わっているからだ!
(ウオルシュ)そうすると、自分にとっての「最善」とは何か、考えてはいけないんですか?
 「最善」というのは相対的な言葉で、100もの変数に左右される。だから、選択が非常にむずかしくなる。何かを決意するときに考えるべきことはただ1つ、それが「わたし自身」を表現しているだろうか、ということだ。「わたしがこうあろうとする自分」を明確にすることになるだろうか? 人生のすべては、自分の表現であるべきだ。事実、人生とはそういうものだ。いきあたりばったりの表現にしておくか、自分が選択する表現にするか、それはあなたが決めればいい。(中略)
 だから、大きな決断をするときには、理性の外に出なさい。魂の探求をしなさい。魂は、理性の思いも及ばないことを知っている。「自分にとって何が最善」かと考えていると、選択が慎重になり、いつまでも決断できず、あなたは期待という海に向かって船出することになる。気をつけないと、期待の海で溺れてしまうよ

前もって保障してもらいたがっている..なるほどそうであったかです
神との対話〈2〉宇宙を生きる自分を生きる (サンマーク文庫)