相手を傷つける喜び 〜フランス・ドゥ・ヴァールさんのご本から 2

 飢餓という想像を絶する状況では、道徳性の追求などまったく意味がない。生きるか死ぬかのときに、ほかのことが入りこむ余地などないのである。そんな光景を目の当たりにしたターンブルは、皮肉を込めて「道徳も贅沢のひとつだ」と述べている。「道徳といえども、あくまで自分たちにとって都合がよく、許せる範囲のものでしかない。それが伝統になったのは生活に余裕があったからだ」
 沈鬱きわまりない指摘だが、これを読んで私はひとつ興味深く思った。過酷な状況によって愛情や共感が追い払われた後、頭をもたげてくるのは自分本位の態度だけではない。他者の苦痛を喜ぶ感情まで出現するのだ。幸運だろうと不運だろうと、人間は運命が均質化することに喜びを感じるのだろうか?満ち足りたときには、不幸な境遇にある人を探しだし、彼らも幸せになることを望む。
 だが自分が飢え死にするかどうかの瀬戸際にあれば、どんなことでもいいから周囲の不幸を見つけ出そうとするだろう。そうすれば、苦境にあるのは自分だけではないと思えるからだ

にんげんって やっぱり二分法、なんでしょか
利己的なサル、他人を思いやるサル―モラルはなぜ生まれたのか