この世界に情報は充満している 〜渡辺保史さんのご本から 5

 まず、忘れてならないのは、この物理的な世界そのものが最初から豊かな情報空間であるということだ。まったく当り前のことのようだが、これを大前提としないかぎり、情報デザインは上っ面の表現のテクニックやスキルの問題として片付けられてしまいかねない。 人間を含む動物は、この世界にあふれかえる情報をその身体をメディアにして読み取っている。言い換えれば、この世界には、私たちが感じとることができる「価値ある情報」があちこちに存在していて、人間を含む動物はそれぞれのやり方で、こうした情報をあちこち探索しながら生きている、ということになる。このような視点は、「アフォーダンス」という認知科学における革新的な考え方によってもたらされる。
 従来の認知科学では、人間は目や耳のような感覚器官を通して環境から刺激を受け取り、それが神経を伝わって脳が情報処理を行ない、意味のある情報に加工している、と考えられてきた。ところが、アメリカの認知科学ジェームズ・ギブソンは、この考え方をひっくり返す画期的な理論を唱えた。ギブソンの主張はこうだ。情報はすでに、私たちの周りに充満している。環境にはそれ自体でおのずと意味を持った情報が存在している。だから、知覚というのはそれらの情報を直接手に入れる活動であり、受けた刺激を頭のなかで情報に加工することではない、と。
 たとえば、地面の上に、ひと抱えほどもありそうな大きな石があったとする。それには、どんな情報が含まれているだろう? ある人にとっては、その石は「またぐ」ことを、別のある人にとっては「腰掛ける」ことを、赤ん坊にとっては「よじ登る」ことを、そして杖をついて歩いている目の見えない人にとっては「よける」ことを意味しているだろう。

いしのめっせーじ、ひとりひとりちがってきこえ、でもみんなにつうじるもの。   もくひょうですね
情報デザイン入門―インターネット時代の表現術 (平凡社新書)