ひとに無理やり約束を守らせて、それで自分は傷つかずにすむだろうか? 〜ニール・ドナルド・ウオルシュさんのご本その3から 5

(ウオルシュ)自分から出ていったものはすべて、自分に戻ってくるんですね。
 7倍になって。だから、何を「とり戻せる」か、心配しなくていい。何を「与える」かだけを考えていればいい。生きるとは、最上のものを得ることではなく、最上のものを与えることだ。 あなたがたは忘れている(forgetting)が、人生は得るためにある(for getting)のでなはい。生命とは、与えるために(for giving)あるし、そのためには、ひとを赦す(forgiving)必要がある。とくに、期待したものをくれなかった相手を赦さなければならない。
 そうなると、あなたがたの文化の物語は一変するだろう。現在の文化でいう「成功」は、どのくらい自分が「得た」かで測られている。どのくらいの名誉や金や力や所有物を蓄積したかで測られているのだ。新しい文化では「成功」はどのくらいひとに「蓄積」させたかで測られる。
 皮肉なことに、ひとに蓄積させればさせるほど、あなたも苦労なく蓄積することになる。「契約」も「合意」も「取引」も「交渉」も、与えるという「約束」の履行を強制しあう訴訟も法廷もなくなる。 未来の経済では、個人的な利益めあてではなく、個人的な成長を目的にものごとを行なうようになる。それが自分の利益だからだ。自分が大きく立派になれば、物質的な「利益」はあとから自然についてくる。
 そうなれば、与えると「言った」のだから与えろ強制するのは、非常に原始的なやり方に見えてくるだろう。相手が合意を履行しなかったら、好きなように選択させるだろう。相手が与えなくても、あなたが失うわけではない。「それが来たところにはもっとたくさん」あることを知っているし、その源というのはあなたが持っている何かではなく、あなた自身だからだ

生命とは、与えるために(for giving)あるし、そのためには、ひとを赦す(forgiving)必要がある..これをきてんにするとずいぶんしんぷるになりますね
神との対話〈3〉宇宙になる自分になる (サンマーク文庫)