当り前の疑問を当り前に持つこと 〜柴田昌治さんのご本から 9

 これらのことを別の角度から見ると、管理型の人間というのは、当り前の疑問を当り前と思えなくなっている。つまり問題の本質へと目を向けるよりは、波風を立てることを恐れて目の前のモグラたたき的解決を優先する人たちである。問題は、普通に、まじめに生きてきた人というのは多かれ少なかれこういう疑問を持っている、ということであろう。そしてこういう人々が管理職にとどまるのか、それとも変革型に変化していくのかというのは、事実に対してどれくらい誠実であろうとするか、その姿勢が分かれ目になるのだ。
 当り前の疑問というのは、普通の感覚からすると往々にして「そんなことを言ってみてもしょうがない」とあきらめがちな疑問である。右肩上がりの時代に、モグラたたき的な解決をすることで実績を上げて偉くなってきた人たちは、過去の成功体験からなかなか脱却できない。本質的なところまで「なぜ」を考える能力が退化してしまっているのである。
 部分に範囲を限定すれば、たとえモグラたたきと言われようとも、それなりの処置がとりあえずできる。しかし、全体を見て本当の問題はどこにあるのかということになると、その答えは見え難い。その結果「言ってみてもしようがない」「言うだけ無駄」「どうせできないじゃないか」というような話になるのだ。「そういう疑問はわかるけれども、今言ってみてもしょうがないからとりあえず横に置いておいて」という思考方法をとることが現実問題としては多い。
 そういう意味では、偏差値が高くて優秀な人ほど、こういう思考方法をいつもとることで目の前の成果を上げて成功してきた人なのだ。余計な疑問を起こさないのだ。子供の頃から、制約条件の範囲内で与えられた課題に1つの答えをすばやく見つける訓練をしてきた人々は、人間として当り前に持つべき疑問を持つ能力を失っている。ある意味では小さくまとまり、完成してきた人たちなのである

事実に対してどれくらい誠実であろうとするか、がわかれめなんですね
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