さざ波のようにモラルが広がる 〜フランス・ドゥ・ヴァールさんのご本から 4

 彼らのコミュニティへの関心は、次のように定義できる。「コミュニティや群れで生活する利益を高めるべく、そのための特質作りを推進しようと個体やその血縁者が行なう関与」。この定義では、意識的な動機や意図に言及していない。特定の行動に関連する利益を仮定しているだけである。つまり、社会的な動物は、群れの調和を乱しかねない行動を抑制し、平和的共存と個人利益の追求の最適なバランスととろうと努めるが、彼らは自然淘汰によってそうなったと言っているだけだ。セックスと生殖の関係を理解していなくても、動物は最適な生殖戦略を追求できる。それと同じで、行動が群れ全体に及ぼす影響を動物自身が理解しているかどうかはさほど重要ではない。
 ただ動機や意図を探る作業は魅力がある。人間の道徳性はコミュニティへの関心が最も顕著な形をとったものと見ることができるから、なおさらだろう。社会意識のレベルが高い動物ほど、周囲に起こる出来事がどんなふうにコミュニティを通過して、自分の足元に落ちるかを理解している。そういう認識があるからこそ、コミュニティの特質作りに積極的に関わることができるのだ。最初は親族や攻撃者といったごく身近な関係への興味にはじまり、したいに自分から遠くても生活に影響のある関係(対立する優位者間の緊張関係など)に広がっていく。やがては集団の調和を高めるような行動(いわゆる監督役を務める中心人物が仲裁するといった)を、みんなで支援するようになるのだ。
 個々がまとまりのない行動をする社会にあきたらなくなった人間は、コミュニティへの自己中心的な関心を集団としての価値観に変質させた。誰にとっても公平な生活様式を求めるのは、仲間と良好な関係を築いて協力しあう必要性から生じた、いわば進化の所産かもしれない。だとすれば、仲間と仲良くやっていくという目的に貢献し、干渉する様々な行動からも、より大きな洞察が得られる。平和と秩序を守る為のやり方ーどうすれば個々の正当な利益を犠牲にすることなく、外からの脅威に対して群れの結束を維持できるか。私達の祖先は、それを理解し始めていたのである。社会組織を根本から弱体化させるような行動を「悪」と見なし、暮らしやすいコミュニティ作りに役立つ行動を「善」と見なすようになった。そして望ましい形で社会が機能するように、次第にお互いの一挙一動に目を光らせるようになった。コミュニティへの意識的な関心。それは人間の道徳性の心臓部だ

”社会組織を根本から弱体化させるような行動を「悪」と見なし、暮らしやすいコミュニティ作りに役立つ行動を「善」と見なすようになった”
学習 とのけつろんですね、愛は生得的 とりょうりつするでしょか?
利己的なサル、他人を思いやるサル―モラルはなぜ生まれたのか