知る必要のあることは、すべて知った。いま、あなたはなくてはならない存在になっている 〜ニール・ドナルド・ウオルシュさんのご本その3から 10

 「わたしたちはすべて一体である」と決めたら、お互いに対する姿勢が変わるだろう。「充分である」と決めたら、すべてをみんなと分け合うだろう。 「しなければならないことは、何もない」と決めたら、「行為」によって問題を解決するのではなく、「問題」が消えてしまうような存在になるだろう。そうすれば、問題を起こす条件は消える。あなたの進化の過程では、これがいちばん大切な真実かもしれない。これを対話の締めくくりにしよう。いつもこのことを忘れず、マントラのように唱えているといい。
 しなければならないことは、何もない。しなければならないことは、何もない。しなければならないことは、何もない。ただ、ありのままのわたしでいればいい。 だからといって、あなたの人生から「行為」がなくなる訳ではない。そうではなく、あなたが経験する行為はあなたの存在から生じるのであって、行為があなたを存在に導くのではないということ。
 あなたが最初に「幸福」であれば、幸福だから何かをすることになる。幸福になりたいから何かをするという古いパラダイムとは逆だ。
 あなたが最初に「知恵」であれば、賢いから何かをする。知恵を獲得しようと何かをするのではない。
 あなたが最初に「愛」であれば、愛だから何かをするのであって、愛を得たいから何かをするのではない。

 あなたが「存在」しようと求めるのではなく、最初に「存在」であれば、すべては変化する。すべては逆転する。「行為」によって、「存在」に行き着くことはできない。幸福に、賢明に、愛になりたくても−あるいは神になりたくても−行為によって「そこへ行き着く」ことはできない。だが、「そこに行き着けば」、すばらしい行為をする、それは真実だ。
 ここに神聖なる二分法がある。「そこへ行き着く」道は「そこにいる」ことだ。行きたい場所にいなさい! 簡単なことだ。しなければならないことは、何もない。 幸福になりたいか? では、幸福でいなさい。 賢明になりたいか?では賢明でいなさい。 愛が欲しいか?では愛になりなさい。 いずれにしても、それがあなただ。 いとしい者たちよ。

あなたが経験する行為はあなたの存在から生じるのであって、行為があなたを存在に導くのではない..おなじときにいきちがうばにいたる、こころひとつですね。すべてのげんてん、ありがとうございました
神との対話〈3〉宇宙になる自分になる (サンマーク文庫)