「学ぶ」より「捨てる」 〜米長邦雄さんのご本から 4

 将棋でも、学校の勉強でも、多くの人は、各人各様に努力している。どのような世界であれ、上達の基本は、知識を蓄え経験を積むことに始まる。だから、その行為自体は重要であり、尊いことである。そして、われわれ人間は、一所懸命に努力し、学び、経験を積めば積むほど、そこから得たものにこだわりがちになる。それを絶対視して、役立つにちがいないと思い込む。 しかし、そうはいかない。将棋にしろ、実生活にしろ、思ってもみなかった事態が必ず出現するのだ。
 鎌倉時代の禅僧・道元は『正法眼蔵随聞記』に「学道の人、心身を放下して一向に仏法に入るべし。古人いわく、百尺竿頭いかが歩を進めんと」という言葉を残している。 古人いわくとは、『無門関』(中国の古い禅の本)のことで、この中に「百尺竿頭すべからくこれ歩を進むべし、十方世界これ全身」という言葉がある。百尺の竿の上にたって、なお先に歩を進めよ、というわけだ。
 そんなことをしたら落ちてしまう。せっかく百尺の竿を渡ってきたのに、落ちるのを承知で踏み打さねばならない。「心身を放火」しなければならないのだという。これには、いろいろな解釈があるのだろうが、私は「馬鹿になりなさい」ということではないかと思っている。身につけた知識や経験を投げ捨てて、もう一度、馬鹿になることがやはり大切なのである。
 そういえば、毒舌で有名だった今東光師は、編集者をつかまえては、河内弁で「オマエらアホやなあ、覚えるのに四苦八苦しとる。オレくらいになりますとなあ、忘れることに苦労してまんのや」と、よく説いたという。(中略) 「学ぶ」より「捨てる」ことのほうがむずかしい。一所懸命に学んで、どんどん捨てなければ進歩はない。 その過程で流れた脳ミソの汗だけが、自分の体に沁み込んでいくような気がしてならない

脳ミソの汗、むずかしいぞ..
ISBN:439631115X