「惜福」で生きる 〜米長邦雄さんのご本から 2

 つまり、余裕・ゆとりの気持ちの有無が第1のポイントになる。これなくしては席服を行なおうにも行なえない。 惜福がないということは、種籾までも食べ尽くしてしまうのと同じことで、そこからは再び福は生じない。「禽は禽を愛惜する家の庭に集まり、草は草を除き残す家の庭に茂る」という。
 氾れいは越で残しておいた福の種籾を斉で育て、そこでの収穫を基にして、今度は陶で福を育てた。「幸運は七度人を訪う」という。そのわずか7度しかやって来ない福の神を酷使してはならない。「福もまた、これをとり尽くさず使い尽くさざる人の手に来る」のである

なるほど〜 80年すぱんで生きる覚悟ですね
ISBN:439631115X